平城宮跡資料館
DSC_4502


平城宮跡歴史公園が開園するよりずっと前の1970(昭和45)年に開館した、国立奈良文化財研究所による発掘事業の成果を展示公開する施設です。

エントランスの地図や写真パネルは昭和を感じさせる体裁でしたが、館内の展示は順次リニューアルされているようです。

立体模型と映像を駆使した平城宮の再現。
DSC_4503


役人の執務室の様子。
DSC_4504


こちらは天皇の御座所の再現。
この当時既にベッドで寝起きしていた様子や、日中の政務に関わる文机、右の居間には囲碁や双六等の遊具も見えます。
DSC_4505


宮中の食事の様子。
DSC_4506


木簡の解読から、朝廷には全国各地から特産品が献上されていたことが明らかになっています。
鴨と芹の汁物、蓮の実入り御飯、鹿肉の塩辛、干し蛸、車海老の塩焼き、焼き鮑、蘇(牛乳を煮詰めて凝固させたもの)、漬物、干し柿、草餅、煮小豆、等々、現代の感覚で見てもかなりの御馳走です。

当時の役人・女官の衣装。
DSC_4507


発掘現場のデスクの様子を再現。
こういう視点の展示はあまり見かけないので、なかなかユニークな切り口だと思います。
DSC_4508


さほど大きな資料館ではありませんでしたが興味深い展示が多く、じっくり1時間ほど費やしました。

南の朱雀門ひろばをスタートして各施設に立ち寄りながら北上し、平城宮関係の見学は15時半過ぎに終了。
最後に大和西大寺駅前からバスに乗って、本日最後の見学スポットに向かいます。

秋篠寺
DSC_4509


776(宝亀7)年、光仁天皇の勅願により善珠が創建したと伝わる古刹です。

創建当時の伽藍は1135(保延元)年の火災により焼失。
現在の本堂は鎌倉時代の再建ですが、奈良時代に建てられた旧講堂の様式を踏襲しており、国宝に指定されています。
DSC_4510


堂内は撮影禁止ですが、照明を落とした空間には、本尊の薬師如来坐像を中心に、脇侍の日光・月光菩薩、十二神将、梵天・帝釈天など多数の仏像が厳かに鎮座しています。
この寺で最も特徴的なのが伎芸天立像で、伎芸天は楽器の演奏を得意とするとされる仏教の守護神の一つですが、古像としての作例はこの秋篠寺に存在する一体のみとなっています。
温和に瞑想する表情と優美な立ち姿は、多くの仏像ファンを魅了しています。
なお、ここに挙げた仏像群は全て重要文化財に指定されています。

境内には大元帥明王を祀る堂もあります。
DSC_4511


大元帥明王は勅許を得た寺でしか祀ることが出来なかった為に作像例も少なく、ここ秋篠寺には鎌倉時代作と伝わる像が秘仏として祀られています。

境内の木立の中には旧伽藍の礎石が随所に残されていて、大寺院だったかつての様子を今に伝えています。
DSC_4512


帰りはバスの時間が合わなかったので、近鉄平城駅まで歩いて移動しました。
近いと思ったら意外に遠く、20分くらい掛かってしまったので、結果的には現地でバス待つのと大差無かったような・・・。

今回も奈良ロイヤルホテルに宿泊。
昨年12月に続いて2回目の利用です。
DSC_4513

DSC_4514


前回の夕食は懐石料理だったので、今回は趣向を変えて中華料理にしてみました。
DSC_4516


横浜中華街などで気になるお店のディナーコースを調べたりすると、ほとんどが「2名以上から」となっており、こういう本格中華の1名コースというのは意外に貴重だったりします。

蒸し鶏、クラゲ、エビなど代表的な中華食材を用いた色鮮やかな前菜。
DSC_4515


フカヒレとカニ味噌のスープ。
DSC_4517


北京ダック薄皮巻き。
見た目は地味ですが、味付けの甜面醤はかなり濃厚です。
DSC_4518


こちらも中華の定番、エビチリ。
本格店の一品だけあって、旨味も辛味も濃厚でした。
DSC_4519


高級魚・クエの天ぷら油淋ソース。
DSC_4520


黒毛和牛のステーキ。
こちらはあまり中華感はありませんが、上質のお肉をミディアムレアでいただく贅沢は格別です。
DSC_4521


ズワイガニのレタス炒飯。
DSC_4522


杏仁豆腐とジャスミン茶で締め。
DSC_4523


今回も大満足ディナーでした。
ちなみにこちらの中華料理店、ホテル敷地内の別棟になっているのですが、初代オーナーの邸宅を改装したものなのだそうです。
DSC_4524

DSC_4525

DSC_4526


食後はグランドスパで疲れを癒し、一日目の行程を終了しました。

奈良二日目。
朝食ビュッフェはいつもは洋食ですが、今回は奈良名物・茶粥に合わせて和チョイスにしてみました。
DSC_4527


甘味は別腹♪
DSC_4528


朝は営業していませんが、滝の見えるカフェ。
こんな所で昼下がりを過ごすのも悪くなさそうです。
DSC_4530


続く。。。

昨年から続く奈良集中訪問企画の第三弾。
今回は平城宮跡歴史公園を歩いて行きます。

京都と並んで奈良が古都と呼ばれる所以は、710(和銅3)年、元明天皇によって都が藤原京(現在の奈良県橿原市と明日香村)から遷されたからに他なりません。
ただし、その期間は784(延暦3)年の長岡京遷都までの僅か74年間という、京都の1,000年以上に比べるとかなり短いものでした。

廃都後1,000年以上に渡って原野や田畑となっていた平城宮跡は1922(大正10)年、地元住民の熱意によって国の史跡に指定され、戦後の1952(昭和27)年には国立奈良文化財研究所が開設されました。
1998(平成10)年のユネスコ世界文化遺産登録を機に主要建築物の復元事業が進められ、2010(平成22)年の平城遷都1300年祭を挟んで、朱雀門や大極殿などの煌びやかな建物が順次復元されています。
そして2018(平成30)年には、平城宮跡歴史公園がオープン。
エントランススペースとなる朱雀門ひろばには、先進的な展示技術を駆使したガイダンス施設や飲食・売店施設等も整備され、奈良観光の代表格である東大寺や興福寺等の有名社寺とは別の角度から、新たな観光スポットとして注目を集めています。

今回の旅は、いつも通りこだま767号と近鉄特急を乗り継いで10時14分に近鉄奈良駅着、運賃100円の観光地周遊バス「ぐるっとバス」に乗り換えて、朱雀門ひろばには10時50分頃に到着しました。
余談ですが、これまで3回の奈良企画で使っていた京都9時40分発の奈良行き特急は、3月16日のダイヤ改正で橿原神宮前行きに変更となりました。
今後は、大和西大寺での乗り換えが必要になってしまうようです・・・。

まずは2018年にオープンしたガイダンス施設「平城宮いざない館」へ。
DSC_4474


館の前に立つ棚田嘉十郎の像。
DSC_4475


氏は一介の植木職人でしたが、奈良の誇りである平城宮の保存運動に生涯を捧げた人物です。
今日ある平城宮跡史跡公園が市街地の開発から逃れられたのは、財界人の協力を得る為に私財を投げ打って陳情活動を続けた棚田の尽力の賜物と評されています。

館内はいくつかのエリアに分かれていて、模型、出土品、解説パネル等の展示で、様々な角度からかつての平城宮の様子を再現しています。
DSC_4476


平城宮は大きく西区と東区に分かれ、西区は朱雀門や大極殿といった主要な建物と内裏があり、儀式の場および天皇の住まいでした。
東区は官衙と呼ばれるいわゆる官庁街で、役所の建物や役人の住居が密集していました。
敷地が足りなくなり、さらに東へと張り出し部分も拡大して行きました。
DSC_4477


釘を使わない木組みで巨大な建築物を支えた技術について解説しています。
DSC_4478

DSC_4480


出土した木簡を読み解くと、全国各地から収められた貢物の品目や、役人の日常業務の内容が分かります。
DSC_4479


居並ぶ役人がそれぞれにランクを示すパネルを持って立つ光景、これがなかなかに興味深いです。
DSC_4481


平城京の人口は時期によりますがおよそ5万~10万人、その内の約7,000人がいわゆる役人でした。
役人には上は一位から下は八位まで、さらにその下に初位、無位という階位が与えられ、三位以上のトップクラスは6万平米以上の屋敷に住んで年収は現在の価値で3~4億円、無位は230平米の借家で年俸約200万円・・・と、徹底した階級社会だったようです。

こちらは役人の執務室の一例。
DSC_4485


役人のトップは太政大臣で、これを補佐する右大臣と左大臣、その下に大納言、中納言、少納言がいて、さらにその下には中務省(現在の内閣府、総務省)、式部省(現在の文部科学省)、治部省(現在の厚生労働省、人事院)、民部省(現在の財務省)、兵部省(現在の防衛省)、刑部省(現在の法務省、最高裁判所)・・・といった省庁が連なるといった構成でした。

都の中にあった製鉄加工所や、外交使節をもてなす様子、貢物を改める様子なども、等身大模型で再現されています。
DSC_4482

DSC_4483


再現模型だけでなく、出土品の展示も充実しています。
こちらは丸木の内側を刳り抜いた水路です。
DSC_4486


壺、食器、木簡など様々な出土品から、当時の生活の様子を知ることが出来ます。
DSC_4484


また、ごみ箱やトイレの跡からは動物の骨や植物の種なども見つかり、これらを分析することで当時の食生活の様子も垣間見ることが出来ます。

館内の見学には90分近くを要しました。
普通に考えてかなり質の高い歴史博物館ですが、平城宮跡はここだけでなく、ほぼ全ての施設が何と入館無料。
史跡保存や国史への啓蒙活動は有意義な税金の使い道だとは思いますが、ここまで立派に設えるなら、少しくらい受益者負担があっても良いのでは?とも思えました。

ランチは「天平うまし館」内のカフェレストランIRACAでシルクロードカレーを。
DSC_4487


悪くはなかったですが、ビックリするくらい料理が冷めてるのは気になりました・・・。

うまし館の外には実物大に再現された遣唐使船の模型もあります。
DSC_4490

DSC_4488

DSC_4489


公開技術も十分でなかった時代、このような船で海を渡ることは命懸けの所業であっただろうことが伺えます。

船と一緒に展示されているのは当時の積み荷で、日本からは朝貢品として銀や綿などが運ばれ、帰りの船には仏典や天文学や陰陽道などに関する貴重な書物の他、楽器、植物の種(白菜、スイカ、ピーマン等)、遊具など様々な品物がもたらされました。
DSC_4491


しかし、遣唐使を語る上で欠かせないのは、物品も去ることながら人的交流で、朝廷の外交使節の他、多くの留学生も同乗していました。
帰国後に高級官僚として活躍して右大臣まで上り詰めた吉備真備と、百人一首にも登場する歌人で、唐で皇帝側近となり帰国せずに現地で生涯を終えた阿倍仲麻呂、二人の生涯を紹介するアニメーションのショートムービーは、短いながら見応えのある一作でした。

朱雀門は1998(平成10)年に復元されました。
幅25m、高さ20m、平城宮の正門にふさわしい堂々たる造りです。
DSC_4492


門を超えて公園内を横切る近鉄の踏切を渡り、さらに北へ進むと大極殿の正門である大極門が見えて来ます。
DSC_4493


朱雀門に比べるとやや小ぶりですが、この門の内側は大極殿、天皇が国家儀式を執り行なう、平城宮の正殿です。
国家の中枢となる空間と外部を隔てる門ですから、その存在は極めて重要です。
DSC_4494


史料によると、平城京遷都の際に建てられた第一次大極殿は、南北約317.7m・東西約176.6mの築地回廊で囲まれ、その南正面には正門があり、両脇に東楼・西楼を備えていたと考えられます。
現在見えている大極門は2022年3月に復元されたもので、引き続き現在は東楼も復元工事が進められています。

工事中の東楼のデッキに上ることが出来ます。
南を向くと、先ほど歩いて来た近鉄踏切の向こうに朱雀門が見えます。
DSC_4495


いよいよ大極殿までやって来ました。
現在の建物は2010年に平城遷都1300年記念祭のメイン展示として復元されました。
DSC_4496


復原と言っても詳細な設計や絵図が残っているわけではなく、柱の位置と大きさや深さから建物の高さと重量を推計、さらに屋根から落ちる雨水の跡から軒の長さも推計し、ここに当時の建築技術や芸術性を加味して復元したものとなっています。

館内には屋根に乗る鴟尾や胸飾りの原寸大模型が展示されている他、当時の木工技術や金属加工技術に基づく復元作業の様子が解説パネルで展示されています。
DSC_4497

DSC_4500


高御座は、京都御所紫宸殿にある現在の本物の高御座を元に、原寸大で再現しています。
DSC_4498


天井壁には上村淳之画伯により古来の四神(玄武・青龍・朱雀・白虎)と十二支が描かれています。
DSC_4499


欄干には、宝珠型の飾り金具を備えた五行色の宝玉が飾られています。
DSC_4501


想像上の再現建築とは言え、当時の人々が見たであろう風景に思いを馳せるには、非常に興味深い空間となっています。

発掘・測量・設計・建築・木工・石工・金工・書画・・・等々あらゆるジャンルの専門家が集結した復元事業の様子をまとめた記録映像は、近くの復元事業情報館で視聴することが出来ます。

一連の復元事業には莫大な費用が掛かっているものと思われますが、ここまでの見学は全て無料でした。
これまでの関係各位の苦労と、これからの継続事業への期待には安過ぎるかもしれませんが、とりあえず募金箱に千円ほど投入させていただきました。

続く。。。

<2024年シーズン観戦10試合目>
明治安田生命J1リーグ 第8節 ジュビロ磐田 0-1 名古屋グランパス
DSC_4849

DSC_4848

DSC_4850

近場同士の対戦ということで、アウェイサポも多数来場。
2試合連続完封勝利の勢いを持ってホームに凱旋・・・と行きたかった磐田でしたが、苦い結果となってしまいました。
立ち上がりから前から嵌めに来る名古屋を、最初の内は冷静に対応出来ていましたが、8分に右からのクロスボールが誰にも触れずにワンバウンドで直接ゴールマウスに収まるハプニング。
相手もおそらくシュートではなくクロスのつもりだったでしょうし、不運な失点でした。

まだまだ時間は十分あるし、落ち着いて仕切り直せば十分取り戻せる・・・と思いきや、その後もビルドアップを低い位置でカットされたり、セカンドボール争いも負け負けで、なかなか前に進めません。
直近3試合では、これ以上ないくらい重い動きでした。
スタメンは前節から一人しか入れ替わっていないのですが、この一人、U-23代表招集で不在になっている鈴木海音の抜けた穴が、予想以上に大きかったのです。
代わりに入ったのは伊藤槙人ですが、試合感が戻っていないのか、あるいは怪我が完全に癒えていないのか(だとしたらそもそもスタメン起用すること自体が問題ですが)、縦に強いボールを差し込んで攻撃のスイッチを入れることが全く出来ず、相手のプレスが迫って来てるのに近くの味方に緩い横パスを送ってみたり、ちょっと厳しくチェックされると簡単にトラップミスしたりロストしたり・・・といったシーンが目立ちました。
R.グラッサの獅子奮迅の動きと、本来はボランチの藤原がほぼ守備ラインに吸収されることで辛うじて次の失点は免れたものの、他の選手も崩れたバランスをカバーする為に立ち位置が2,3歩ズレますので、これがセカンドボールが収まらない一因にもなっていたように思えました。
前半終了間際、先制点を決めた倍井R.グラッサに対しスパイク裏を見せたアフターチャージで一発レッド。
これで数的優位となりましたし、直近2試合の5得点は全て後半ということもあって、期待を込めてハーフタイムを折り返しました。

後半の磐田は再三相手ゴール前に迫りましたが、ペイショットの壁パスを活かした古川のシュートはクロスバー越え、ジャーメインが相手を背負いながらの反転シュートはあと数センチの位置でポストを叩いて枠外、いつもより早い時間からの投入となったB.ジョゼのGKの逆を突くシュートもライン上ギリギリで相手DFにカバーされたりと、どうしてもゴールをこじ開けられないまま時間だけが過ぎて行きます。
さらに焦りからか、CKはニアで簡単に弾かれたり、クロスボールが易々とラインを割ったり、無人のファーサイドに流れて行ったり・・・といった失策も目立ちました。
フリーの「止めて蹴る」を失敗するのは、相手云々ではなくただの自滅ですね。

結局、序盤の事故のような1失点に追い着くことが出来ないまま、試合終了。
相手はユンカーランゲラックも負傷欠場していて、しかも後半丸々1人少ないというハンデまで付けてもらってるのに、この結果は、正直モヤモヤ感しか残らないです。
過去は変えられないので、顔を上げて次の試合に向かってもらうしかありません。
DSC_4851


ミッドウィークのルヴァン杯は、スタメン総入れ替えでここまで出場機会が無かった選手の顔見世興行のようになるんでしょうか?
しかしそれはそれで、彼らにとってはレギュラー争いに名乗りを上げる為の、千載一遇のチャンスとなるでしょう。
磐田のユニフォームを着てピッチに立つ以上、どんな試合でも目指すは勝利のみ、という気持ちで挑んで欲しいものです。

↑このページのトップヘ